現職の中学校教員であり、F-ぱぱプロジェクト代表でもある、武田秀司さんにお話を伺いました。

避難先での体験

-まずは武田さん自身のことお伺いします。避難する前にどういったことをされていたか、父親の育児参加についての取り組み、ぱぱカフェになったときに武田さんがどういう経緯でつながられたか等教えていただけますか。

震災前後の状況

武田さん:伊達市立桃陵(とうりょう)中学校の社会科の教員で、震災の年、その学校は2年目終わる頃の3月で、震災があって、2011年の5月に長男が生まれたんです。震災の時が8カ月くらい。
放射線の不安もあったので、両親とも山形なので、山形あたりに母子避難するとしたら、夏休みの期間だけでも、と考えていたぐらいの時に…というかもう、今思い出しても、3、4、5月何やっていたか思い出せない。みなさんそうだと思いますけど、その日その日精一杯だったと思うんですけど。
6月中旬くらいだったと思うんですが、うちの中学校の校長から、県外派遣「県外に避難している小学生、中学生の支援」ということで、どこの県に行くかはわからないけど行ってほしい、という。
どこの課からはわかりません。伊達市教委かわからないですけれど「どうか?」という風に聞かれて、4月から3年生の担任だったので無理だと思います、いうことで断ったんですけど、3日後くらいに、行く人がいなかったからかもしれないですけれど、「もう一回考えてほしい」ということで、引き受けて。

新潟県刈羽村へ

武田さん:実際は9月1日から新潟県の刈羽村、柏崎刈羽原発近くの刈羽中学校というところに席を置きながら、桃陵中学校と兼務だったんですけど、新潟県の教育委員会のご配慮で、そこを拠点にしながら福島から避難している子どもたちが多くいる小中学校を定期的にまわるという風に、旅費等の関係も色々工面もしていただいて、というところまでは決まっていたんですね。

実際行ったら刈羽中学校自体で100人くらいの学校に20人くらい避難していて、その隣の小学校にも50人くらい避難していて。最初の3月ですね。 私が行った(9月)頃にはだいたい半分くらいには、福島県に戻ったり他県、東京とかに行ったりでだいぶ減っていたんですけれど、その時はじめて、お世話というか、日本全国でしょうけど、福島の人間が、これだけお世話になって、ご迷惑をかけていたっていうのがわかりまして。
こっちにいると、やっぱりそんな余裕ないですよね。日々の目の前に接してる子どもたちや仕事で精いっぱいなので、改めて分かって。

行く学校は、基本的には(避難している子どもの人数が)7人~8人以上の、多いところで一つの小学校に30人くらいいたんですよ。それも強烈だったんですけど。そこを結局、1年と7カ月、約2年いたんですけど。
20校くらいを、定期的にまわったり、あとは1回しか行かなかったところもあります。1人しかいないところとか。小中学校に行かせてもらって。

結局、「福島から来ました」ってだけでは、子どもたちも保護者も、本音というか、心も開かないので、何回か通ったり。
3、4、5回と通って、顔と名前覚えてもらえるように、面談、懇談会とかを各小中学校で開いていただいて。
ようやくだいたい回ったのが3月くらいですかね、9月からスタートして。

(県外派遣は)1年契約だったんですね。今も20数人県外に派遣されているんですけど、だいたい一年ごとなんですけど「何もできてないな」ってことで、次の年も希望して。

2年目からは、今思うとちょっとカウンセラーでもないのにカウンセラーに近いことをやってしまって、ちょっと危険な…というか、個人面談とかそういうのも臨床心理の資格もってるわけじゃないので、今思うと非常に危険な、危ないことをしていた場合、ケースもあったんです。
色々、向こうの先生方や関係機関のご協力もあって、より多くの子どもと保護者とお話ししたんですけど。
その中で、割合はちょっと難しいんですが、福島に戻らないと決めた方が2~3割、戻りたいけど戻れないとか戻るタイミングについて色々考えている方が3~4割で、来年戻る時期をほぼ決めている方、大きく3パターンに別れたんです。

「ビーンズふくしま」とかかわるきっかけ

武田さん:それぞれ個々、全然、家庭環境や避難している状況によって違うので、とてもじゃないですけど、一(いち)教員でできることは限られているので、できるだけ支援団体と、とうことで。
そこで(みんなの家スタッフの)富田さんとつながって、ビーンズふくしまさんも新潟市の会議で何回かお会いして。

2年目の2012年の8月に、福島大学で母子避難にある程度しぼって、これからどういう支援が必要なのかということで、シンポジウムがあったんです。その中で、(福島大学の)鈴木先生に関わって。
「スクールソーシャルワーカー(SSW)」ってあるんですけど。全然まだまだ浸透していないですけど。
結局、自分が新潟に行ってやっていることが、気が付いたらSSW的なことで、SSWの勉強で本とか読み始めたら「やっちゃいけないことやっている」と。
自分の精神状況からしても、これは非常に危険なぎりぎりのことをやってたんだなとわかって。
そこで色んな方とつながって、客観的にやるべきこと、やれること、やっちゃいけないことを整理して、そこから勉強が始まってビーンズさんとも関わり、会う機会が増えて。それはプライベートなんですけど。

子育ての悩みは同じなんですよ、お母さんたちと

育休をとる!

武田さん:教育相談とか面談とか、ほとんどやっぱりお母さんなんですよね、だいたい。
最初は子どもの話から始まるんですね。
不登校になった子もたくさんいましたし、いじめにあった子もいましたし、学校の話から始まるんですけど、最終的には、家族、家庭内、旦那の愚痴…どんどんそっちにいくんですね。

福島に居る時から、育児に関わりの薄かったお父さんが、一緒に避難したり、離れて暮らす、どちらにしても、より負担が女性にしわ寄せが(いく)。
男はもう精一杯。自分の仕事、場合によっては仕事も失って、プライドも傷つけられて…やっぱり男は弱いな、と。
お父さんのネグレクトもありましたし、虐待もありましたし。

というのを経て、改めて自分も、やってないな、やってなかったなと。
じゃ今、自分偉そうに福島支援でやっているけれど、自分の子どもすら、ちゃんと守れて面倒見れるの? ということで。
かみさんも教員なので(福島に)戻ってくるときに、現場に戻りたいということで。
3歳まではちょっと育休取ってほしかったんですけど、(3歳まで)1年ちょっとあって。
決心したのは2012年の12月くらいですかね、(武田さん自身が)育休とるということで、相談したら「いいんじゃない?」ということで、手続きとか色々大変だったと思うんですけど、福島に帰ってくるときに(育休を)結局1年取得したんです。
2013年の4月から1年間。家内は、小学校復帰して、ということで。

-育休ですが、教員はとりやすいものなのですか?

武田さん:とりにくいです。3年担任とか部活の顧問、普通にしていると、半年とか1年は、ほとんど不可能に近いと思います。

-もう少し詳しく、育休をとるに至った点を教えてください。

武田さん:社会の教員というのもあって、中学校でも教材で、男女共同参画社会をジェンダーフリーということで時間さいて教えていて。
高校のほうがもっと時間かけて教えているんですけど。
コーディネータみたいな育休パパ先駆者みたいな知り合いもいたんですけど、その方の影響も、ずっと潜在的にあって。
子どもも、ようやくできた子どもというのもあって…、好奇心とか、社会の教員ということとか、向こう(派遣先)での男の育児、家事への関わらなさによる弊害というか…
そういうところに、意識が高いつもりでいて、全くやってなかったと、動いてはいなかったとわかって。

色んな方に相談はしたんですけど…
実際、かみさんの両親は反対しました。うちの両親は賛成したんですけど。

-男性が家庭の子育てに参画していくということに関する意識が高い素地があられたという中で、さらにまた新潟での生活によって意識が高まり、育休をとるに至ったわけですね。
とても大きな判断だと思いますが、男もそういうところに関わるべきと、確固たる思いに変わった瞬間があれば教えてください。

武田さん:具体的には言えないんですけど、面談で…
面談に来る保護者は、結局困ってたり、子どもも自分も、知らない土地に避難してきて、そんな中旦那が協力してくれない、旦那自体がストレスの対象になっているとか。
福島にいるときは単身赴任で別々だったのに、せっかく一緒に住めるようになったのにかえってお母さんのストレスを増やしたり。
あと小さい時に関わっていないので、小学校1、2年生ぐらいに対する虐待ですね。
自分の仕事が大きく変わったり、環境変わったことのストレスで、子どもに当たるという父親が多かったですね。福島から避難してきて。
避難してる、してないに関わらず、その問題はあるんですけど、
DVの問題にしろ、多かったんですね。避難している人数からの割合にすると非常に高くて。

それも向こうの支援団体、柏崎市の社会福祉協議会の方々等、色々チームで対処していく、そういう会議に毎月参加させていただいて、こっち(のケース)は学校は無理となったり、こっちは私が相談に行ったり、一緒に入ったり…と。
看護師やいろんな方が入って色んなケースで対応していく中で、やっぱり「お父さんがもっとね…」、「男がもっとね」というところで。

やっぱり震災があったり、阪神淡路大震災、新潟中越沖地震の2回の震災の時も同じく、しわ寄せは女性、子ども、高齢者。
震災の時の蓄積で学んできたんだけれども、やっぱり今回の東日本のときもそこがクローズアップされて。
震災があったからじゃなくて、普段の、平常の中での「男女共同参画」が進んでいない証拠だし、というように、最後、結論じゃないけど、行き着くんですね。
富田さんも、よくわかってるんですけど、山形県でも、宮城県でも同じ話題が出るんですけど。

ままカフェとの関わり

武田さん:福島に戻る際に、避難しているお母さんの不安は戻った後なんですね。今現在もそうで。それがままカフェの趣旨なんですけど。
ままカフェがスタートしたのが私が育休中の頃で、私も最初慣れるのに、4、5月死んでたので、6、7月、ようやく慣れ始めたころに富田さんに連絡して「何か手伝えることないですか?」って。
初めて7月、福祉センターでやったままカフェに、子ども連れて行ったんですね。

その時に、私も同じなんです。
県外に避難して戻ってきて「ほんとに水道水でミルク作っていいのか。」「まだ線量が、庭は0.8(μSV/h)とか1.0ある中、どこまで外で?」
同じなんですよ、全く。お母さんたちと。
「こういう親父、たぶんあんまり居ないんだろうな。」と思いながら。

そこで出たのが、「じゃ、お父さんどうしてたんだろう」とか。
その場はもちろん、避難から戻ってきた方が多いので。その時は米沢とか、まだ避難中の方との交流、情報交換もやっている中で「残してるパパが心配だ」と。健康面、精神的な面で。
だいたい土曜日来て、月曜日の朝か日曜日の夜帰るというこの生活で、果たして(どうなのか)。何も言わないけど理解して。

中にはやっぱり「避難するほどじゃないんじゃない」って戻ってきて、という方も多いですよね。
その中で、離婚も多かった。増えましたし、往復の大変さと別居生活でストレスで病気になる方もいるし、それこそ交通事故で行き帰り途中に亡くなる方もいらっしゃいましたので。

そういう中で、ままカフェは、ばーっと集まるんですけど、男もそういう何かあったほうがいいのかな、ということで。
7月、8月くらいだったかと思うんですけれど、まあダメ元で。
男はこういう深刻な話題になればなるほど集まらないんだろうけど、こういうのもあるよ、ということで、まず発信してみようか、ということで(ぱぱカフェを)スタートしたんです。

ままカフェに行った後、ビーンズふくしまさんに直接行って。その時に、「パパカフェ」っていうのを、富田さんの中でも構想があったんじゃないでしょうか。
私が初めて出したというよりは、たぶん富田さんのほうに、ママカフェ何回かやっていく中で、旦那の心配が出て、ということで。

-ままカフェという場に出て、お母さんと同じような課題意識があると感じた。「子育て」という同じ役割を担うならば、性別に関係なく必然的に感じる部分だったわけですね。

武田さん:はい。
ただでさえ大変なのに、という感じですね。
福島で小さい子、小さくなくても、放射線の不安の中で育児している人の「福島の気持ち分かって」っていう想いは、同じだったと思うんですよね。

色んな室内の遊び場がばーっとできたので、積極的に毎日のように行って。
積極的に「何歳ですか?」とか「どうですか?」とか、声かけて。
なかなか確信の「外遊びはどうですか? 全くやってないですか?」とか、「水道水、飲ませてるんですか?」とか、そこは、初対面ではやっぱり聞けないですよね。

-初対面だから聞けないというのは、武田さんが男性だからでしょうか。この問いは男性女性関係なく、出しにくかったと思いますか?

武田さん:関係ないです。たぶん女性同士でも聞けないと思います。
ままカフェに来ているお母さん方も、そこに来ているという時点で、暗黙の(聞いていいという)。だいぶ差はあるとしても、やっぱり。

で(室内遊び場では)、顔見知りになって何回か会うと育休とってる男の人ってわかって、5~6回会ってようやく「実は今年秋田から戻ってきたんです。」「実は…」っていう方が多くて。
室内の遊び場に連れてくるぐらいですから。
「実は私も新潟にいて」って話できくと「近所ではこういう話できないし」とか「線量計も、かばんにしまっているけどなかなか出せないんです」とか。
「私、(線量計)出してますよ」って言って。普通に平気で、ご飯食べに行っても、ファミレスでもテーブルにあげてたりして…と、そういう話したり。

意外ともう大丈夫だろうと思っているお母さんでも、実はそうやって、安心はしていない。
たぶん気をつけてれば大丈夫な範囲なんだろうと思うんだけど、なんでもOKにはしてないし、当時は野菜もスーパーでは福島県産は買ってないですし、水も聞くと、飲み水はだいたい買って。
米を研ぐ水ですらペットボトルの方もいました。一人二人じゃないです。
かなり私は馬鹿みたいに声かけて、色んなお母さんとしゃべったんです。
ままカフェのお母さんもそうですし、「さんどパーク」とか「ぴょんぴょんドーム」(どちらも屋内遊び場の名称)もそうですし。
あづま運動公園で親子運動教室があったんです。毎週月曜日やって8回で終わっちゃったんです。
2歳から5歳までのお子さんのお母さん方、20人くらいいたんです。
すごい良かったんですよ。それが8月で終わっちゃうので、講師のダンスの先生に引き続きできないですか? と。
そしたら「団体作って、登録すれば(できる)」と言って、結局、団体作ったんです。わくわくキッズという組織を。
そしたら50人くらい申込で、結局12月くらいまで体育館とか場所借りてやって。

そしたらやっぱりそこでも何割かは「いや、実は避難してました。」宮城にいました、仙台にいました、という方が、1割以上はいましたね、結果的に。
共通のそういう不安を抱えながらも、あまり声を高らかにはせず。
高らかにしてる人ももちろんいますけど、やっぱりもっと声を出していいんじゃないかって。
学校現場で言うのもあれですけど。やっぱり、うるさい保護者だ、神経質な保護者だって言われるんですよね。
そんなことはないんですけど、やっぱりなかなか。

だいぶ去年や、2年前とも変わってきてると思うんですけど。
すごい勉強になりました。普通に教員やっていたのでは気がつかなかったり、関わらなかった方々なので、そこはすごく勉強になったなと思います。
今もこれからも、たぶんじわじわ活かされていくと思っていますけど。
子どもたちには全部話してます。今話したようなことは、ほとんど、授業で。
ピンとこないこともいっぱいあると思うんですけど。

ぱぱカフェの話に戻ると、なかなか人が集まらないというか。参加する人数が。
こないだは9人10人ですけど、やっぱり身内とかスタッフだったり、まだするので。

F-ぱぱプロジェクトの誕生

-ままカフェには参加者の立場で、自身が不安に思っているところを解決する場として活用された。
ぱぱカフェでの武田さんは、お父さん状況に課題意識があって、いわゆる支援者の立ち位置でいらしたわけですね。
参加者から支援者へと思いがシフトしていったわけですね。

武田さん:そうですね、一番はやっぱり新潟で、福島支援されているたくさんの団体、スタッフの方の想いが、なかなか…、出たからわかるんですけど、それが伝わってないというか。
「お世話になったし、ありがたい」と、色んな形で支援を受けていて、みんなわかっていると思うんですけど。

(避難先の支援団体の方々は)今現在も自主避難、もしくは避難されている方が「戻ってから」のことも心配しているという現状を、こっちで受け止めきれてない福島県があって。
「別に、好きで避難したんだから、戻ってきてどうぞ」って。「別に、受け容れウェルカムですよ」って、それはわかるんですけど。
「勝手に出てって、勝手に戻ってきて、戻って来てからも気を使うの?」と。「いや、そうじゃなくて」というところが、やっぱり。
向こうから帰ってくるって決めたときあたりに、ですね。

出戻りの人もいたんですね。戻ってきたけど、やっぱりだめだと。
それは両方ですね。「放射線の不安、やっぱり耐えられない」というのと、それだけじゃなくて「人間的なもの」と。

そういうので、やっぱり「復興するんだったら、よりよく復興しなきゃ損じゃない」という感じですかね。単純に。
こんな思いしたんだったら、より優しく、前の福島よりも、もっとより、「福祉」という言葉になるかわからないですけど、お互いに傷つけあわない、そういう福島に。
こんなことがあったから良くなったんだよね福島は、という風に、あと10年20年、かかるかわからないですけど。
それはすごく感じましたね。

-ぱぱカフェに集まっていた方は「避難している家族がいて福島に単身で住んでいるお父さん」でしたよね。何回くらい開催されたのですか?

武田さん:初年度(2年前)は3回。11月と1、2月。
去年は5回ですかね。
今年今のところ、2回終わったところですね。
初めてバーベキューというか、いも煮会をやったのを入れると3回ですけど。

-いも煮会は「F-ぱぱプロジェクト(以下F-ぱぱ)」という団体でしたよね。ぱぱカフェは「避難母子が居るお父さん」を対象者に実施していましたが、今はそうした枠は無くなったのでしょうか?

武田さん:それは、今はもうないですね。
基本は「福島で子育てしている」もしくは「これからパパになる予定の方」も含めて、「福島で頑張って育児やろうぜ」っていう感じですね。

-F-ぱぱの誕生について、もう少し教えください。

武田さん:スポーツだったりアウトドアだったりで、男が、別にそんな堅苦しい「放射線の不安に負けずに、子育て頑張ろう」とか大上段にかまえないで、同じく福島で子育てしてる、ママの気持ちもわかるお父さんたち、男たちで、やれることを一緒に考えていきましょう、と。

-家庭における男女共同参画を推進につながるようなプログラムを開催しているわけですね。

武田さん:そうですね。
「イクメン」という言葉じゃなくて、「当たり前」というか。

-F-ぱぱのメンバーは何名ですか?

武田さん:今は3人で、私が代表で、副代表2人。
ひとりは、仙台の横田さん。民間保育園の園長さんです。
お子さんが今、5歳になったのかな? 今子育て中で。
もう一人は、震災後に生まれたお子さんのパパで、お子さんを避難させるかどうか悩んでいて昨年のぱぱカフェに相談がてらに来てくださって。「とにかくお母さん、奥さんの気持ちを聞いて、いったん数カ月になるかわからないけれど、避難するのも手かもしれませんね」っていう感じでしゃべったりして。
今年度も、一緒にやりましょうということで。
その3人で、今。
横田さんはネットワーク広いので、色んなイクメン講座とか、講演会出たり、色々活動されてて。

-名前の由来ですが、"F"はふくしまの"F"でしょうか?

武田さん:「福島の子どもたちのために」ということですね、最終的には。

-そういえば、芋煮会をされたと伺いました。

武田さん:子どもたちの火おこし体験と、斧で薪を割り、火で炭をおこして、バーベキューといも煮をして。場所はここ(みんなの家)で。

-ここでですか…

武田さん:ここでやったんです。そこの小さな狭いスペースで。
結局、60、70人来たみたいです。お父さん、お母さん、子ども、全部合わせて。

-すごい!…20世帯弱くらいですか。
お父さんもちゃんと出てきましたか?

武田さん:いましたね。
その時は、結局、我々3人入れてですけど、男も10人くらいですかね。
何かイベントとくっつけたほうがいいんだな、というのがあらためて。

表出した課題に向き合い、新しいモデルを創る

-「みんなの家@ふくしま」という場を通じて、どんな福島を創っていきたいと考えていますか?

武田さん:やっぱり、もっと育児。小さいときに限らず、育児、教育に、もっと男が関わるべきだし、家事も。
そのほうが男性の埋没している能力がより発揮されて、楽しくもなるし。
大袈裟ですけどそういうのが進んでいる県に。こんなことがあったから、福島県はこういう育児が。
自分でとっておきながらあれですけど、別に育休率が高まることが男女共同参画社会に進めるかどうかというと、また別の問題かもしれないですけど。
「関わり方」を見直す。休みはパチンコに、競馬にではなく、育児に関わる、それが当たり前。そういう社会になっていくために声を挙げていく人が挙げて。
中には私の話を聞いて「育休とりました」とか、「とろうと考えてます」とか、というのはあるんですけど、それはそれ。そういうのだけじゃないんですけど、F-ぱぱは。

基本は東日本大震災からまだまだ色んな不安を払しょくしてない。日常戻ったか、震災前に戻ったように見えるけど、実際色んな解決はしてない。
除染にしても、放射線の問題にしても、あるじゃないですか。
それをあえて口にしないで、みんなどう感じてるか、どう考えているのか、ますますわからなくなってきていると思うんです。
そうじゃなくて声に出して、これは不安で、これはこうで、これはわからない、と。「わからないから不安」じゃだめなので、もっと勉強したり。
そういうコミュニケーションとってかないと、ますます溝ができて。亀裂ができるようだと他県で福島支援してきた人たちの甲斐がなくなってしまうんですよね。

-本日はお忙しい中、ありがとうございました。