みんなの家@ふくしま スタッフ 高橋美由紀さんに、ご自身の避難生活も含め、お話を伺いました。

山形への自主避難

-まず、高橋さん自身のことをお聞かせください。

高橋さん:出身は福島市です。震災前は福島市で子育てをしている専業主婦だったんです。その前は教員、高校の国語の先生だったんです。(笑)。
県内だけど、県南のほうでしかやっていなかったので。
棚倉、白河と、2つやったんだけど、ちょっと子育てと両立ができなくて、辞めちゃいました。

-退職後、福島市に戻られたのでしょうか?

高橋さん:そうですね。福島に家を建てて、そこから白河の学校に通勤していたんです。新幹線通勤をしていて子どもがその時小さかったので、ちょっと大変だなと思って。転勤福島市を希望したのですがなかなかできなかったので。
なので、3人の子どもを持ちながら、専業主婦をしていた状態で、2011年の3月に震災が起きて。

-お子さんはおいくつですか?

高橋さん:現在だと、中3、小6、小1で、男男女です。
震災が起きてまず原発事故が起きたと聞いた時に、だんだん周りの人たちが避難をして行くのを見て、自分自身は避難したほうがいいのかどうなのかよくわからないなと思っていたんだけれども、ずいぶん周りのお友だちが行ってしまったのでちょっと関東の親戚を頼って、一時は関東のほうに避難したんです。震災後、3月19日くらいになってからやっと。一時的に関東に行って。
でも4月になったら「もう学校が普通に始まりますよ」という一斉メールが入ったので、学校が始まるんだったら戻らなきゃなと、戻ったんですね。
そして戻ったはいいけれども、学校が始まってからの生活というのは窓を閉め切ったままにしているし、あったかくなってきたのに長袖長ズボンマスク。
色んな支援物資として、マスクが送られてきたりカッパが送られてきたり、そんなような一学期をずっと過ごしながら、こんなところにずっと暮らしていていいのかなという疑問がわいてきて。
下の子もまだその時2歳だったので、この子の遊ぶ場所がないなというのが一番気になって。
外で遊びたい時期だろうに、どっか遠くに連れて行かないと遊べないっていうのがなんだかとっても…雨が降っても、長靴はいて外も歩かせてあげられないと思ってしまって。
そんなずっと悩んだままの一学期を過ごしている間に、山形でどうも自主避難の人たちにも借り上げ住宅を提供してくれるらしいよ、という話をママ友から聞いて、それならとりあえずアパートを借りようかって言って借りて、それで、避難するのかしないのか最後まですごく迷ったんですけれども、迷っているんだったら、一回とりあえず出てみようと。
出てみて、しなくてもよかったねと後で笑い話になるならそれでいいよねって言って、とにかく一回動いてみようと、私と子どもたちだけで出て。
山形市のほうに。転校の手続きをしたのは2学期になってからです。
そこから私の山形避難生活が始まり。

けっこう山形市は福島市から避難している方たちがすごく多くて、向こうで福島市の知り合いに会うことがちょこちょこあって。
まずは不動産屋さんに行くと、そこで福島のママたちに会って「あ、来てたんだね!」っていう、そういう感じで。一人じゃないんだって言う安心感がすごくあって。
転校した先の学校にも、やっぱり40人ぐらいその当初、福島市というか、福島から転校してきた子がいたんですよ。
ここだったらやっていけるかなと思っている中で、リーダー格のママがいて「避難しているママたちで集まってお茶会でもしようよ」って声かけてくれたことがきっかけで向こうでずっと避難してたお母さんたちとのつながりというのを。
そこからわーっと広がっていって、最終的には子ども未来ひろばっていう山形にあるところでスタッフとして働くようになり。

そこの中での私の役割は、お母さんと子どもで避難している人たちがすごく多かったので経済的にも大変だし、集まったところで私の先生だったという過去を活かして、ちびちゃんたちに言葉とか、数とか、そういう知育的なお教室を、格安で開いてくれないかなって言われて。
そういうことで貢献できるんだったら、ただ避難して毎日過ごしているよりもいいなと思って、そこで子どもたちの幼児教室を担当させてもらっていたんです。
それをずっと避難生活の間は続けていたんです。

-避難生活は、いつ頃まで続きましたか?

高橋さん:2014年の3月まで。去年の3月ですね。
2年半いたことになります。

-2014年の3月、福島に戻ろうと思ったきっかけとしては何でしょう?

高橋さん:だいたい母子避難だと、旦那さんが週末に避難先に来るという人が多いと思うんですけど、うちの場合は主人がやっぱり教員で、部活動を担当しているので、平日も土日も仕事なので、来れないわけですね。
そうすると私たちが帰らないとほぼ会えなかったから、帰ってたんです、ちょこちょこと、私たちのほうが。
週末に帰るとなると子どもたち3人いて、給食着やら運動着やら週末全部洗ってから急いで荷物をまとめて、福島に来て、またこっち戻ってきて学校の準備だーってやる生活が、だんだん自分自身が疲れてきてしまって。
一人で子どもたちの面倒を普段も見て、週末は移動して戻ってきて。
あとは仕事もしていたので、幼児教室も準備をしないとできないことだから、けっこうそれも負担感が出てきてしまって。
自分が疲れちゃったんですね、結局ね。
子育てと、お仕事と、避難生活と、全部をちゃんとできなくなってきて。
けっこう心身をやられてしまい、最後の頃はもう働きに行けないくらいになってしまって。
ちょっとこれは避難生活をこれ以上続けるのは、自分としては無理かなって。
お母さんがこんなに元気がなくては何のために避難したんだか、子どもたちに元気なお母さんの姿を見せてあげることのほうが大事かなと勝手に思って。
勝手に連れてきたのに、勝手に自分の都合で連れて帰るようで…なんだかすごく…
ほんとは避難生活を続けていたほうが健康面の心配はないのかもしれないけど、家族一緒に暮らして自分の精神面も安定していたほうが、被害があるかどうかわからない放射能の心配よりも、そっちのほうが大事かなと考えて、帰る、と決断したんです。
だから、福島が完全に安心だと思って帰ってきたわけではなくって、どっちが大事かなって考えて、やむを得ず帰ることを選んだって感じですね。

福島に戻ってからの生活

-福島に戻られてからの生活はいかがでしたか?

高橋さん:そうですね。
まず福島に帰ってきてとにかく心配なことが多かったので、ただ福島はどんどん復興に向かって進んでいるような感じで、外遊びも普通にしてるし、食べ物だって安全ですよって言われてるし、そういう生活、福島の人たちの歩みに、まだ私がついて行けなくって。
やっぱり心配なことがたくさんあって、子どもが砂を触る度に大丈夫なのかなと思ったり。
とにかく気になることが色々あったので、帰った当初は線量計を持って歩いてたりとか、いろんな相談ができるところに行ったりとかして、ちょっとでも自分の心配ごとを減らそうと頑張っていたのが、去年、帰ってきたばっかりの頃はそんな感じでしたね。

-具体的には、どのようなところへ相談にいきましたか?

高橋さん:まず一つは医療生協さんで、お医者さんが相談に乗ってくれる日があってそこに行ったこともあるし、あとはままカフェ自体もその一つだったと思います。
ままカフェも行けば同じような心配をもっているママたちに会えるし、保健師さんなり、色々福島の現状を知っている人たちがいろんなアドバイスをくれる場だったので、そこも相談できる場所でした。

-ままカフェにも参加されていたのですね。

高橋さん:ままカフェに、自分の不安を語れる場として、利用者としてずっと、たぶん1年間のうちお休みしたのは何回かくらいの感じで、ほぼいつも行っていたんですけど。
その中で福島で生活している、例えばトミー(みんなの家スタッフ、富田)であったり、保健師さんや支援センターの先生たちも、福島にいながら園児たちに、色んなもの計ってこれは大丈夫って頑張ってやってきた話とかそういうの聞きながら、ままカフェの中で、出逢った人たち、もちろん避難して戻ってきたママたちもそうなんだけれども、そこを作ってくれていた人たちの話を聞くなかで、自分の不安事項がどんどん減っていって。
秋頃を境になんかこんなに心配しなくなって大丈夫なのかな、と逆に自分が心配になっちゃうって言うか。
今まで食べれなかった福島産のものを食べても大丈夫かなって思えるようになったり、砂遊びもしても大丈夫なのかなって。外でいっぱい遊んでても、除染したところならOKなのかなっていう風に、自分の中でだんだん安心できるようになってきたんですね。ままカフェに参加している中で。

-もう少し詳しく教えてください。ままカフェのどのようなことをきっかけとして、考えが変わっていったのですか?

高橋さん:例えば、参加しているママたちとのグループトークの中で、今まで心配していたママが「こうやって食べ物を計って大丈夫で、うちは食べるようにしているんだ」って。今までは心配していたと思うんだけれど、心配しなくなった変化を見せたママの発言であったりとか。
放射線健康管理課の保健師さんから、D-シャトルっていう、ガラスバッチではない、一日おきの自分の浴びた線量がわかる計測器を借りて、どこに行くと高くなっているのかをデータにしてくれるやつをやってみて、どこに行ってもそんなには浴びてないんだな、私が思うほどはっていうのを見たり。
あとはコープさんでやっている陰膳(かげぜん)調査もやってみて、自分のとっている食事というのが、気にしないで選んでも大丈夫な感じなんだなっていうのを、数字で見たりしたことがやっぱり安心につながっていった、という感じですかね。

-陰膳調査とは?

高橋さん:自分の家の食事3食分を1食、例えばうちは家族5人いるけれども6人分作って、1食分をジップロックに入れて、それを計りに出すんです。それを2日か3日か、何日間分か冷凍保存したものをコープさんに送るんです。

-今までも数字で線量を、かなり多くの場所で語られていたかと思うんですが、なぜ納得できたのでしょうか。行政発表的な形のものとままカフェという場で聞くものと、これはどのように違うものでしょうか。

高橋さん:私もそこはすごく不思議なんだけれども、例えば山形にいて福島の線量はホームページでも公開されているから見ているはずなんだけれども、一個フィルターが掛かっちゃう感じかな、行政からのお知らせってなると。イメージの問題なんですけどね。
一生懸命計って行政は出してくれているはずなんだけれど、そこを疑ってしまっていたんだと思うんですが。
それをママカフェの中で、私たちの避難した気持ちとか心配な気持ちとかを理解してくれている人たちが、この検査してみたら? って勧めてくれたものっていうのは、やっぱり気持ちをわかってくれた上で提示してくれたものなので、安心できたし、信頼できたし。
自分の実際の生活に即した調査をするということは、画面上で公式発表されてるものよりかは自分がこれだから大丈夫なんだな、という風に肌身で感じることができたっていう。
その違いですかね。

-そしてみんなの家のスタッフとなる高橋さんですが、そこにはどういったきっかけや考えがあったのでしょうか。

高橋さん:ままカフェで参加している中で、富田さんからままカフェは月に1回しかないものだけれども、これがいつもいつでも誰でも来ていいよ、っていうお家があったらいいよね、という話になり、そういう家ができるんだというのをままカフェの中で聞いて、それは行きたいなと思ったんです、自分が利用者として。
そういう場所があったらいつでも行けて、例えば月に1回だと、1回抜かしちゃうと2か月先になってしまうのでそういうことがなくなっていいなと思って。
お手伝い、サポーターとしてやってくれる人いませんかという話も、ままカフェの中であがってきていたので、何かお手伝いできたらと思っていたところスタッフ募集の話を聞き。
あと、私が一番そのとき思ったのは、子ども未来ひろばで働いていたせいだと思うんですけれど、避難ママの知り合いがすごくいっぱいいるんですよ。
その、帰るかどうか迷っているママたちの話題としては、帰っちゃうとこういう場所ってきっとないよね、私たちがしゃべれる場所。どこに行ったらいいんだろうね、っていうのが。帰る時期、3月ぐらいになると本当にぎりぎりまでママたち迷っているんですよ、今年帰るかどうするかって、年度の区切りで。
その中で、向こう(福島)に帰ったらきっとこういう話ってもうできないんだよねって。
福島って普通に復興に向かって進んでいるところで、不安だってきっと言えないんだよね、という話をしていて。
そのことが頭の中にあったので、私がここの常駐になる、みんなの家にいたら、ここにいるよって、その今も避難中のママたちに言えるなって勝手に考えて。

「帰って来たときに話せる場所が、みんなの集まれる場所があったらいいなと思って。スタッフになろうと思った。」と高橋さん。

当事者性のあるスタッフとして

-みんなの家@ふくしまで今、どういった役割を担われていますか?

高橋さん:明確な区分はないけれども、私の立ち位置としてはやっぱり…他のスタッフさんと違うところは避難した人とか、避難しなかった人もそうだけれども、震災時に子どもがいて、原発事故があったことで、そのことをすごくこわいなと思ったママの世代なのは私なのかなと思うんですよね。子育てど真ん中で震災が起きたので。
そういう部分では、みんなの家を立ち上げた経緯の中に、避難したママもそうでないママも一緒にお話しできる場っていうことで、そこのつなぎ役になりたいなっていうのがあったので、私の立ち位置はそこなのかなと思っているんですけど。
その知っている人たちにこの家を紹介することであったり、避難していない小学校や幼稚園のママ友とかにも、こういう家があるよって。
この家を広めるのに役立ちたいなって思っています。一つはね。
あとはまだ幼児教室みたいなのはやってはいないんだけれども、ベビママデーとかあると時々こっちが何かする立場になるので、そういう部分でももっと役に立ちたいなと。まだそれ以外のお仕事が意外と多いので、実現はしていないけれど。
実際このときに向こうで教えていた子どもさんたちが二人ぐらいは来てくれているから、そういうつながり、山形と福島でのつながりみたいなのも、もっと広がったらいいなと思っていて。

-当事者性というところですか?当事者である方の気持ちを、なるべく伝える役割が一つあるのかなと。

高橋さん:そんな気がします。

-改めてなのですが「みんなの家」が福島に存在している意義、魅力を高橋さんが言葉で表すと、どのようになりますか?

高橋さん:どんな立場の人でも、福島には色んな立場の人が今住んでいると思うんです、震災後特に。
そのそれぞれの立場を理解し合い、認め合い、どんな選択をした人でも許される場というか。そういう、福島で暮らすことが楽しくなるような場所?生活しやすくなるような場所…かな。

-これはママだけではなくて、若者だったり、地域とのつながりというのも含めてですか?

高橋さん:含めて多世代で。たぶん震災があったことで、色んな世代の人たちがばらばらになっちゃったような気がするんです。ママももちろん避難した人、しなかった人、震災後に赤ちゃんを産んだ人、いろんな人がいるけれども、ここで一緒になることで、つながりなおすというか。
例えば地域のおじいちゃん、おばあちゃんだって、自分の孫がどこかに行っちゃっていないんだっていっても「ああ、孫はいないけれども、ここに来れば子どもがいるな」ということで癒されてもらったら嬉しいし。
もちろん子育て中のママたちも、若者も、よその年配の方たちと話す機会は普段の生活の中ではなかなか…職場にいたら話はするかもしれないけれども、日常生活ではあんまりないと思うので。
すごく、貴重なつながりがここでできるんじゃないかなと思っていて。
そんなところが魅力ではないかと思いますが。

-今まで運営で携わって印象深かったこと、忘れられないことはありますか?

高橋さん:うーん…自分の中では。イベントだとちっちゃなことだけれども、一番最初に自分が担当してやったワークショップで。
すぐ山形の話に戻っちゃうんですけど、この幼児教室で作った手作りのネームプレートをこっちでも、みんなで作りましょうってやった時に、なんかこう、避難したことがまたこっちでも活かされていて、自分の中では福島でもこういうことがまたできるんだな、福島の人とこれでつながれたらまた嬉しいな、と。
印象に残っていることです。

みんなの家全体で見ると、印象深かったのはハロウィンかな。
それはもう、個人的なことでなくて、みんなの家の成り立ちとしてはそこが一番。多世代のコミュニティハウスというのが出来上がった感があったので。
それはそれは。

-今後、注力していきたいテーマ、イベントがあれば教えてください。

高橋さん:一番は、今やっている「ままトーク」というシリーズがあるのですが、これは避難したママだけではなく福島で頑張っていたママも、原発事故後に出産をしたママも、それからおじいちゃんでも、おばあちゃんでも、パパでも、誰でもいいんですけれども、とにかく色んな人たちで震災後の生活を話してみようよという企画なんですが、それを頑張りたいなと思っていて。
私と香里さん(みんなの家スタッフ、加藤香里)の企画ということでやっているんですが、この次第3回目なんですけれども、今まではファシリテーターは富田さんにお願いしてきたので、グループトークの仕切りは富田さんがやってくれたんですけれど、今後どんな展開になっていくのかわからないんですが、何かしらの形で色んな立場の人が震災後の話をできる場所を続けていきたいなと思っていて。
このシリーズをまだ続けたいと思ってもらえるような企画にしたい。(笑)
次が第3回でシリーズひとくくりなので。

-3回というのは、1回ごとにテーマ性を持って実施されたのでしょうか?

高橋さん:最初、私の頭の中ではこちらからテーマを提示して、それでグループトークをするかなと思っていたんだけれども、実際には参加した人が自分たちのこととして話し合えたほうがいいよね、となったので、まずは話してもらう。震災後の生活で気になっていることとかしゃべりたいことをそれぞれ参加してくれた人から出してもらって、そこから拾い上げて、次はこのことで話しをしようかという風に、次のことを前に来た人たちが決めるような感じで進めているんですよ。
第2回目のときに、ただしゃべってるんではなくてもう一回、実際のデータを見直してみたいよねって。
公園なり、心配な場所とか、食べ物とか、どうなっているのか。
震災から5年もたっていると改めてデータ見るってなかなかみんな無くなってきているので、福島の現状をもう一回見て、それを見ながら、ああだこうだしゃべろうというのが第3回目なんですけど。

-特にどのあたりが気になるという声がありましたか?

高橋さん:小さいお子さんがいるお母さんだと、公園に連れて行ったときにモニタリングポストが立っているけれども、そこの線量がすべてではないので草陰にはいったら違うかもしれないよね、っていう。
子どもが行きそうな線量が高そうなところは果たして本当に大丈夫かしら?
なので、細かく線量を計れたらいいのにねっていうことで、そんなの計測をやっている団体さんもあるので、実際に計ってみるのもいいよね、という話が出ていたり。
食べ物についても、福島産のものだけを使ったお料理と、他県というか近県だけの食材を使ったものと、計って比べたら違いが出るのかな?って。それで違わないんだったら、本当に福島のものでOKだよね、っていう感じで。

-これを実際にやってみたのですか?

高橋さん:やってみるまで第3回はいかなかったので、やってみる前の段階として、ホームページや調べている団体さんのデータを借りてくるなり教えてもらうなりして、それを見ながらあっちの公園のほうがまだ高いんだねとか、目で数字を見て、福島の…今どこら辺がホットスポットらしいよ、とかそういうのを知りたいみたいです。(笑)
トミー(富田さん)と言っていたのは、ここ(みんなの家)も実際細かくは計っていないけど、こわいけど計ってみたいよねって。この周辺も。駐車場からこっちに来る道とかもどうなんだろうね、と言っていて。そこら辺は私たちの興味なんですけど。
子どもたちが実際に通るところの細かい線量がわかったら。とにかく、見えると安心するってあるので。

-最後にメッセージがあればお願いします。

高橋さん:今、ご近所デーとしてご近所の人たちだけが集まっていたり、若者は若者で集まっていたりするけど、さらにここ(ご近所の人と若者、等)が交流できるような家になるともっといいかな、と思います。
お互いに違う世代の人としゃべると、いい刺激をもらえるかなと思います。

-今日はありがとうございました。